• 家を出ていく母へ

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    彼は16歳のころ、本格的にバイクのレーサーを目指していた。
    そのために高校を中退し、家に余裕があるわけではないので、朝は市場で、夜はコンビニなどでバイトをし、資金を貯めていた。
    バイクレースは、毎回タイヤやパーツ、レーシングスーツ、レース代など相当のお金が必要で、彼は食べるものも切り詰めて、レース費にあてていた。

    そんな中、両親が離婚することになり、母親が家を出ることになった。
    彼が一八歳のときである。
    二つ年下の弟は中学卒業後、職人である父親の仕事を手伝っており、母親は彼がついてきてくれると思っていたらしい。

    「でも、そのころは、バイクのことしか頭になく、母と一緒に行くと経済的にさらに困難になると思い、父親のところに残ることを選んだんです」

    両親の離婚は決して円満なものではなく、母親は出て行くとき、何も持って行けなかったという。
    そんな母親の姿を見て、彼も感じるものがあったのだと思う。

    「そのとき、自分にできる精一杯なものとして、それまでに貯めていたすべてのお金(60万円だった)を渡しました。自分の親にですが、とても感謝されました」

    それからさらに一年間、ふだんは原付に乗り、また一からバイトに明け暮れしながらお金を貯める生活を送る。

    「その後、さいわいスポンサーが付くまでになりましたが、バイクレーサーはぼくみたいに裕福ではない人間がなるには壁が高いんです。
    有名レーサーの中には親が山を売ってお金をつくった、そんな例がゴロゴロ転がっているのがバイクレースの世界なんです。
    でも、やれるだけやって悔いのないバイク生活を送れたこともあり、きっぱりとやめました。
    いまではいい思い出となっています。
    現在、ぼくは30代も半ばですが、色々プレゼントなどもらったり、贈ったこともあります。
    でも、自分があげたプレゼントしてはあのとき、母親に渡したお金が一番印象に残っています」

    彼は現在、千葉県でバイクショップを開いている。

    そんな彼にも一つだけ心残りがある。
    「10代の後半はバイクのために食うものも食わないような生活していたでしょ。
    栄養失調で倒れたこともあるんです。
    そのためか、身長が165センチで止まってしまったのが、ちょっと残念です」

    母親はその後、新しい家庭を築き、現在は神奈川県でしあわせに暮らしている。

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